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執筆者の写真ふじいむつこ

【古本屋のリアル⑤】古本屋で生きる。



兄の経営する古本屋の日常を妹が描く「古本屋のリアル」。最終回は、古本屋で生きることについて。本が売れないと言われる状況が長く続く中、あえて古本屋を営む理由は何なのか? また、そんな兄をそばで見て手伝う妹は何を思うのか? 



古本屋で生活していくことは可能か?


 もしも私が古本屋を始めるなら、何からしたらいいのだろう。まずは古本を買い取ったり、販売したりするために、古物商という資格がいるらしいのでそれを取ろうか。それとも先に店舗の場所を決めようか。


 お店にはどんな本を並べよう。児童文学や絵本が好きだから、そういった本を並べて子どもがたくさん出入りできるようにしたいな。少しお茶が飲めたらいいからカフェも併設しようかしら。ベビーカーも入りやすいようにできたらいいな。


 と、ここまでうきうきと妄想して、はっと現実に戻る。個人事業主になるから確定申告めんどくさそうだな。保険とかどうしらいいのだろう。というか、そもそも古本屋って儲かるのだろうか。古本屋だけで生活できるのだろうか。そして、気づいてしまう。こんなことを考えている私はずっと古本屋を始めることはできないのだ、と。

 兄が古本屋を始めたのは23歳のときだ。就職先を決めずに大学を卒業して間もなく、尾道のゲストハウスで働き始めた兄は1年も経たぬうちに、まわりの提案と支えによって古本屋を始めることになった。23時から翌朝3時までという営業時間なのは、当時働いていたゲストハウスの勤務時間との兼ね合いもあってのことだ。


 兄が本好きだというのは知っていたが、何でまた「古本屋」だったのかと尋ねると「なりたくてなったというより、これしかなかった。自分が社会と接点を持つことができる方法がこれだった」と、消去法だったのだと言う。


 兄がまだ大学4年生だったときのことを思い出す。その年の正月に卒論の執筆に追われながらも帰省した兄はぼろぼろだった。自分同様ぼろぼろのモッズコートに身を包み、積まれた座布団に寄りかかりながら、うつろな目で実家の天井をぼうっと見つめていた。


「ああ、お兄ちゃん、死んじゃうかもしれない」と根拠もなくそんなことを思ったものである。その後、家族で夕食をとっていたときに卒論の提出日まであと1週間もないことが判明し、そのまま京都の大学に強制送還された。辛そうに玄関を出る兄に生気はなかった。

 なぜ兄がそんなにぼろぼろになってしまったのか、私は知らない。知っていたのは、本当は文学の研究者になりたかったこと、しかし大学院進学はだいぶ前からあきらめさせられていたこと、なけなしの就職活動で内定した会社は辞退したということだけだった。今でも当時を思い出すと「お兄ちゃんは何でいつもこうなのだろう」と頭を抱えてしまう。


 そもそも生まれてこのかた、兄はとてもドジな(運がない)人だ。小学生のときは登校中に止まっている車に頭をぶつけ遠足に行くことができなかったり、ずっと楽しみにしていた林間学校ではリップクリームを忘れて口びるをガサガサにして帰ってきたりなど、他人が聞くと笑ってしまうような、しかし当の本人にとっては絶望的な情けない失敗が多い。


 何も昔のことだけではない、最近だって誕生日にもらったお気に入りのライターを私に自慢しようとして落として壊してしまっている。とにかく、誰もがつまずかないようなところで兄はつまずき、すってんころりんと転けてしまうのである。

 だから大学4年生の兄の身に起こったことも、そんな1つのつまずきだったのかもしれない。負った傷はかなり致命傷だったが。しかし、傷ついた体で兄はもがいた。容易につまずいてしまう自分が社会とつながって生きていく方法を精一杯模索したのだ。もがいた先にあったのが「古本屋」だった。


 消去法で始めたという古本屋が今年で6年目になる。開店当初は並べることができる本は少なく、平置きばかりしていたが、今では置く場所に困るほどの本に囲まれている。取り扱う本も古本だけでなく、出版社と直接取引して仕入れた新刊本や個人が持ち込んだZINEなども販売している。


 常連さんも増え、店内でお客さんの人生相談に乗っている姿をたまに目にする。兄の店を頼りにしている人は1人や2人ではないだろう。もがいて苦しんでいた兄が今悩み苦しむ人の力になっている。たくさんつまずいて傷ついてきた兄だからこそ、その傷の癒し方を知っているのかもしれない。


 今の兄はもうひとりぼっちではない。店を開けばたくさんの本とたくさんのお客さんに囲まれている。きっと店を閉めることになったとしても兄に差し伸べられる手は無数にあるだろう。

 しかしそれは開店当初からできるだけ休まず日々店を開け続けてきたからだ。何でもすぐ飽きて辞めてしまう私にとってはそんなに続けられることが驚きだった。店を始めるということは無論大変なことだが、そこから1年、2年と続けていくことも同じぐらい気力体力が必要なことだ。兄は6年、それを続けたのだ。


 古本屋を辞めたいと思ったことはないのかと聞くと、間髪なく兄は「ない」と言い切る。店に関することで悩むことはあっても、「辞めたい」と思ったことは一度もないのだという。


 昨年には2店舗目となるお店(古書分室ミリバール)がオープンした。平日の昼間は2店舗目を開け、夜は今までの店を開けている。生活費をまかなうために働いていたゲストハウスのアルバイトも昨年の暮れに退職した。間違いなく古本屋で生活を営んでいる。


「古本屋って儲かるんですか」と質問されると、「まあ赤提灯の下でこうやって笑っているぐらいには」と兄は答えている。謙遜とかではなく、事実そうなのだ。華美な服装をしているわけでもなく、趣味という趣味もなく、ムダづかいもあまりしないし、ご飯はもっぱら近くのコンビニの弁当だ。特別贅沢しているようには見えない。


 しかし、元気のない常連さんに「飲みに行くか」と誘うことができるぐらいには、移住した妹に新品の自転車を買ってあげられるぐらいには儲けているらしい。

 最近は個人の書店も増えてきたが、その分閉店してしまう書店も多い。SNSの普及により娯楽の幅は広がり、出版業界も苦境を強いられている。本は売れない時代なのだ。それでも私は本の可能性を信じていたい。現実社会に疲れてしまったとき、何もかも投げ出したいと思ったとき、1冊の本に、1ページの一言に救われた瞬間がたくさんある。


 好きだった漫画の続きが気になって、明日の命を繋いだこともある。買ったお店のことを思い出しながら、本を抱きしめて寝たこともある。だから、そんな本に出会うことができる場所、本屋、古本屋はたくさんあってほしいし、それらはいろいろな形態で存在してほしいと私は願っている。


 古本屋はとても大変な仕事だ。気力体力は必要で、毎日営業すればぐったり疲れてしまうし、何より売り上げが少なければ食べていくことはできない。兄の場合、1人で切り盛りしているので病気になれば店は開けられず、収入はゼロになってしまう。シビアな世界だ。


 でも古本屋をしている兄はとても楽しそうなのだ。本を仕入れて、一冊一冊お客さんに手渡していく。そんな日々がたまらなく愛おしいのだろう。店を開ける兄には昔のような悲壮感は漂ってはいない。悩みながらも、強く、1人の商売人の顔で立っている。


 兄は古本屋で生きている。それが私はとても嬉しい。



おわりに


 全5回にわたって、兄の店をベースに妹である私の目線で「古本屋」について紹介させていただいた。正直、兄の店は古本屋の中でもイレギュラーな店なので、古本屋の「ふ」の字も紹介できていないかもしれない。深夜営業であったり、新刊本も取り扱っていたり、店主がしゃべりすぎていたり……と、オーソドックスな古本屋とは一線を画している。


 また、カフェやギャラリーを併設したような独立系書店とも違うように感じる。いずれにせよ本という一つの商品でこれだけ多種多様なお店があり、語るにしてもさまざま切り口があるということが古本屋、本屋のおもしろさなのだろう。奇々怪々な古本屋のリアルが少しでも伝わったなら幸いである。


 本文でも触れたが継続的にお店を開けるというのは大変なことだ。四六時中、店のことを考え、ぐったり疲れた兄はつねに瀕死の状態である。それでもその顔には充実感のようなものが浮かんでいるように見える。古本屋という商売が好きなのだ。


 そんな兄を見ていると私も自分ができることを続けて生きていきたいと思うようになってきた。それが兄の店を題材にした4コマ漫画だった。不器用な私はできることが少ないし、たとえできても飽き性なのですぐ辞めてしまう。でも、兄のお店で起こることはおもしろく、話題が尽きそうにない。そして、それを漫画にすることは素直に楽しいのである。


 気づけば4コマももうすぐ50回目に差し掛かり、本連載への架け橋ともなってくれた。できることが古本屋だけだった兄と続けられることが4コマだけだった妹。珍奇な兄妹は今日も古本屋で生きながらえている。古本屋は魅力的な仕事なのだ。

 

ふじいむつこ

1995年生まれ。広島県出身。物心ついた頃からぶたの絵を描く。2020年に都落ちして尾道に移住。現在はカフェでアルバイトしながら、兄の古本屋・弐拾dBを舞台に4コマ漫画を描いている。

Twitter@mtk_buta

Instagram@piggy_mtk

 

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