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執筆者の写真Byakuya Biz Books

ゲンロンの10年(1):誤配に満ちた空間を再構築する

更新日:2022年5月16日


ゲンロン

批評家の東浩紀さんを中心に創業した出版社、株式会社ゲンロンが2020年4月に10周年を迎えた。そこで、創業者の東浩紀さんと現代表の上田洋子さんとともに、全3回に渡ってゲンロンの10年をふり返る。第1回は人文知や批評が好きな人を増やそうという試みが、東さん個人の活動ではなく会社でなければならなかった理由、そして収益の軸を担うゲンロンカフェや代表の交代など、いまのゲンロンを語る上で欠かせない事柄を中心に聞いた。

撮影:吉村 永



大人同士の教育をするためには、起業するしかなかった


――東さんはゲンロンの活動を哲学プロジェクトと位置付けていますが、この10年間をふり返ってみて、プロジェクトの進捗状況をどのように判断していますか?

 半分は達成、半分はまだまだといったところでしょうか。基盤は固まったと思うんですね。というのも、ゲンロン友の会(ゲンロンの活動を支援する組織)の会員が約3000人いて、ゲンロンの仕事をフォローして、実際にお金を払って応援してくれる。

最初はぼく個人のプロジェクトという意味合いが強かったのですが、ゲンロンが一種のプラットフォームとして認識されるようになったことで、ぼくの仕事とは一見関係ない人も集まるようになった。そういう点では、公共的で中立的なものとして育ったのかなと思います。他方で、社会に対する影響力はまだまだだと思うので、これからの10年間で拡大していきたいというところです。


東浩紀さん。批評家、作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』『クォンタム・ファミリーズ』『一般意志2・0』『ゲンロン0 観光客の哲学』『ゆるく考える』『テーマパーク化する地球』ほか


――ゲンロンは人文系の出版社として出発しました。いまや出版にとどまらず、ゲンロンカフェでのトークショーや放送、スクールなど、事業が多角化されていて、出版業界でも独自のモデルとして存在感を示しています。

 出版はゲンロンの一部でしかないので、出版モデルを提供しているわけではないんですよね。出版、場所(トークショースペース)をもつこと、トークショーの放送などの組み合わせなので、あえて言うなら、文化的な活動の一つのモデルと言えるかもしれない。

たとえば、『新対話篇』という対談本は、ゲンロンカフェで行った対談を元にしていて、その動画データも販売しています。つまり、本として活字になった対談と、元になった対談の動画を同時に観ることができる。こうした形でサービスや商品を提供できるのはゲンロンならではだと思いますね。


上田 ゲンロンには入口がたくさんあって、コミットメントの形も多様であることがとても大切だと思っています。ゲンロンに深くコミットしたい人は友の会の会員になって、年に一回の総会に来ることもできます。もっとカジュアルに関わりたい人はゲンロンカフェに来るだけだったり、ニコ生の放送や本を買うだけだったりする。図書館で本を借りるだけ、無料放送を観るだけ、という人もいるでしょう。ゲンロンが少しずつ認知されてきたことも手伝って、多様なタイプのお客さんが集まるようになったように思います。


上田洋子さん。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳家。博士(文学)。株式会社ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』『プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い』ほか


――創業当時をふり返ると、出版不況もあり「人文書なんか売れない」と言われる厳しい状況でした。人文系は出版不況のあおりを顕著に受けてしまったのでしょうか。


 出版業界が苦しくなり、メディアに余裕がなくなってしまった。貧すれば鈍するというやつで、貧しくなれば、パッと発注してコンテンツが出来上がり、パッと売れるものを求めるようになります。そうなると、最初になくなっていくのが人文的なものなのかなと思いますね。

――2017年に東さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』や千葉雅也さんの『勉強の哲学 来たるべきバカのために』がヒットし、哲学書ブームが起きました。人文書の裾野が広がることにはなりませんでしたか。

 哲学書のブームって、日本ではスター哲学者のブームなんですよ。毎回、若手論客のブームが起こるだけ。若手論客が出てきてパッと売れるというのは、あまりたいしたことではないと思っています。なぜかというと、ブームを演出しても持続的な運動につながらないからです。ぼくもゼロ年代は若手論客を集めてシーンを演出することが大事だと思っていたけど、結局、何も残らなかった。

SNSの祭りがよくないとしょっちゅう言っているのも同じ理由で、ある時期から文化人がみんなPV稼ぎのようなことをはじめてしまった。それどころか、最近はTikTokみたいになっていて、「15秒で言えないメッセージはダメだ」という風潮すらある。これでは文化が死んでしまう。

文化人がいまやるべきなのは、長いシリーズものとして自分の発言をつくることなんですよ。でも、出版業界も一発ネタでPVを稼ぐようなことをしているから、なかなかできない状況にある。だから、ぼくは批評誌『ゲンロン』(2015年創刊)を一つの長いシリーズ物としてつくっているし、『新対話篇』もぼくより年上の人との対話を収録しています。一過性のブームからは距離をとって、人文書が好きな人を地味に広げていきたいんです。


『ゲンロン0 観光客の哲学』(左)と『ゲンロン1 現代日本の批評』(右)


――人文書が好きな人を増やしていく方法として、東さん個人のオンラインサロンを立ち上げるという選択肢はありませんでしたか?

 それを30年続けられるならいいんですよ。オンラインサロン自体は今後もさまざまなものが出るだろうけど、一人ひとりはそんなに長く続かないと思います。一人のカリスマでずっと運営できるオンラインサロン、つまり宗教ですけど、そんなものを立ち上げられる人は多くない。そんなに続けられるネタはもっていないですよ。

カリスマモデルで一気に集金するのは結局、単発モデルであって、短期的にはお金になります。ただ、それが持続するかどうかは別の話です。クラウドファンディングも、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)のようなネット署名もそうだけど、いまのネット社会って単発の集金モデルはたくさん開発されています。けれども、持続的にどうしていくかはあまり考えられていないんですよね。そういうわけで、ゲンロンはぼく一人の力では早晩限界が来るので、オンラインサロンモデルにはできないんです。


――東さんは東京大学や東京工業大学、早稲田大学で教鞭をとるなど、教育現場での経験も豊富です。大学に留まり、研究・教育をすることも可能だったと思いますが、あえてアカデミックな世界からは距離を取りました。

 いま、大学の教員は大学の仲間と編集者にしかしゃべっていません。その中でグルグル言葉がまわっている。そういうことから外に出たかったんです。いまの大学は教員も学生もモチベーションをつくりづらいんですね。ぼくはもう大学を離れているから何も責任をもって言えないけど、すごく簡単に言うと、大学では大人同士の教育がむずかしくなってしまった。

教育という言葉は、日本だと大人が子どもを育てるという意味でのみ使われてしまうんだけど、本当は大人に対して情報を伝えて考えてもらうという意味もある。そして、それは一対一の大人の関係が必要で、むかしの大学の教室は知的な会話ができる空間だったし、大学に来る学生も大人だった。でも、いまや大学は高校化してしまい、それができなくなったように思います。

だから、自分で大人のための空間をつくる必要がありました。ぼくがゲンロンやゲンロンカフェを通して行っているのは、大人同士の教育、つまり知的なことや社会的なことについて長い時間対話できる、また読者も交えて対話できる環境づくりなんです。



中継と時間制限の撤廃で成功したゲンロンカフェ


――2013年にオープンしたゲンロンカフェはトークショーとして会場にお客さんを入れ、ニコニコ生放送(ライブ配信サービス)でその模様を中継するというスタイルです。最初はご自身でも成功すると思っていなかったそうですが、開催回数は800回以上を数え、大成功を収めています。


 ゲンロンカフェはもともと中継するつもりがなかったんですよ。当時のニコ生は、公式番組でニコ論壇という言論・文化系の番組を放送していて、最初はゲンロンもそこで別にチャンネルをもっていました。ところがそれが解体されてしまった。ニコ論壇はゼロ年代の若手論客を育てるゆりかごみたいな役割も担っていたので、そういう意味で一つの時代の終わりだったんですが、ちょうどそのタイミングでゲンロンの経営が危機的な状況に陥り、うちもニコ生でチャンネルを開設しようかということになった。それでトークの模様を有料放送してみたら意外と売れたんです。


――フリーモデルは考えなかったんですか?

 中継するつもりがなかったから、会場の値段設定をドリンク付きで3000円と高めにしていたんですよ。それなのに、YouTubeで無料放送するわけにはいかない。だから中継は800円(いまは1000円)という値段設定にしたんだけど、ぼく自身も800円じゃ誰も観ないだろうなと思っていた。

けれども、100~200円にしてしまっては、会場の値段も下げなきゃいけなくなるし、それでは存続できないから、最終的に会場の値段も下げないで済むギリギリの値段として800円になった。もし最初から放送局としてつくっていたら、無料放送でたくさん人を集めて広告収入をねらうことも考えたかもしれないけど、物理的なお店があったからできなかったわけです。



――ゲンロンカフェの最もユニークな点は、時間制限がないことにあると思います。中には8時間に及ぶものもありますよね。

 ふつうのトークショーは1~2時間ですけど、それでは深いことはしゃべれない。ゲンロンカフェは19時にスタートして20時半ぐらいに休憩を入れますが、そこまではだいたい単なるあいさつで、21時ぐらいからようやく話がはじまります。人って長い時間しゃべることが好きなんですよ。これはぼくにとっても発見でした。

上田 もちろん、なかにはコンパクトにしゃべりたいという登壇者もいます。それでも、21時半ぐらいまでしゃべったあとで質疑応答に入ることが多い。ゲンロンカフェでは会場に来ている人がたくさん質問するし、登壇者も質問されるのはうれしいじゃないですか。だから、結果的に長くしゃべっていただけますね。

ただ、「長くやります」と約束はできないので、公式では2時間半としています。だから、はじめて来る人には9時半までには終わると思っていて驚かれることもあります。最初のころは「終電がなくなる」とか苦情もあったのですが、いまはパタッとなくなりました。お客さんも長いトークの醍醐味に触れて、体力的にも精神的にも鍛えられていくのかもしれません。

 うちとしてはあくまでもハプニングとして起こるという設定です。それに、そういうことは外に向けてわざわざ言う必要がないものだと思います。ゲンロンカフェは大人のための空間だと話しましたが、そういう空間って、表向きはふつうだけど行くとヤバいことが起こるぞというものですよね(笑)。


――ハプニングというのは、東さんがこれまでの著作でテーマにされてきた誤配にもつながることですね。

 そうですね。ゲンロンカフェでは何が起こるかわからない。そういう偶然性が、誤配を生むんです。


上田 私はもともとロシア語・ロシア文学が専門で、20年以上通訳の仕事をしています。通訳って相手の人生を仮体験するようなところがあるんです。この仕事を通していろいろな人に会ってきましたが、いままで接点のなかったものに思いがけず出会ってしまったという感覚をもつことが多い。ゲンロンカフェで起こることは、それに近いという実感があります。


――NetflixやSpotifyのようなストリーミングサービスを利用していると、レコメンデーションという形で自分の知らないコンテンツと思いがけず出会うことが多々あります。こうした偶然性と、ゲンロンカフェで起こる誤配はやはり違うものですか?

 ぼくはNetflixのレコメンデーションを大変使いにくいと思っていて、時々ユーザーをつくり直すほどです。あれでは、Netflixにたくさんあるはずの番組をまったく発見できない。レコメンデーションのアルゴリズムがずさんなのか、アイルランドの城についての番組を観たら、城ばっかりが並んでしまう。

レコメンデーションは原理的に誤配をなくすものです。ぼくには視聴経験を豊かにしているとは思えない。ゲンロンカフェは「ゲンロンがやっているものだったら観よう」という客をつくりたい。もともとテレビ局や出版社への信頼ってそういうもので、「この出版社が出しているんだったら、自分の趣味とは違うけど読んでみよう」といったことが読者に新しい経験を与えていたはずです。

だから、テレビ局や出版社の個性をならして、ジャンルでレコメンデーションしようとすると、むしろユーザーの視聴経験は貧しくなると思っています。ゲンロンがやろうとしていることは古臭いことなんですけど、いまの時代では逆に例外的なんです。

上田 ゲンロンカフェの豊かさは、東さんが一人で幅広いジャンルの登壇者の聞き手を務めることができるのも大きくて。昨日はマンガの話をしていたのに、今日は哲学の話をしている。さらにそれらの話が何らかのキーワードで交錯していくことで、新しいフックが生まれていく。そのくり返しであらゆる方向にテーマが広がっていくんです。



中小企業のリアル 素人経営で廃業危機!?


――ゲンロンカフェのオープンと前後して、ゲンロンは経営危機に陥ったそうですが、直接の原因は何だったのでしょうか。

 ぼくが会社経営に関して何も考えていなかったことですね。ゲンロンは最初につくった『思想地図β vol.1』(2010年)が3万部も売れたんです。当初は2~3000部ぐらいしか売れないと思っていたのに、たくさん売れてキャッシュが入ったので、オフィスを借りたり人を雇ったりした。続く『思想地図β vol.2』(2011年)も2万部ぐらい売れたんですが、売り上げを東日本大震災の復興支援として寄付したので、会社にはお金が残らなかった。要は会社の経営に対して真剣に考えていなかったんだと思います。

そしてゲンロンカフェのオープンでさらに費用がかさんで、『福島第一原発観光地化計画』(2013年)という本を出す頃になると、ついにお金がなくなったわけです。ある日突然、当時の経理の担当者から「今月の給料が振り込めません」という電話がかかってきた。当時は従業員が4~5人はいたんですけど、ぼくの個人口座からお金を移動させてつないだぐらいです。

上田 当時のゲンロンカフェは昼間も営業していたので、スタッフもたくさんいたんですよね。夜のイベントでもお客さん30人に対してスタッフが5人もいたり。

 自分たちが何をすればいいのかさっぱりわかっていなかったんですよ。そして、ついにお金がなくなった。でも『福島第一原発観光地化計画』がもっと売れていれば、危機には陥らなかったかもしれない。

上田 部数が多かったので、ダメージも大きかったんですよね。

 『福島第一原発観光地化計画』の前に出した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』が2万部くらい売れたので、「これもいける!」と思ってたくさん刷ったのにまったく売れなかった。もう絶望的でしたね。


『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(左)と『福島第一原発観光地化計画』(右)


――発行部数は東さんが決めたんですか?

 そうです。まあ、ぼくが素人だったということにつきますね。素人が生兵法(中途半端に知っていること)で経営した結果、次から次へと失敗した。2013~14年は社員も減って、オフィスがガラガラになってしまった。

上田 私は『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に関わり、その後ゲンロンを手伝うようになりました。2014年には、一時社員が3人しかいない時期がありましたね。そして、一度出版をお休みして、再スタートとして批評誌の『ゲンロン』を2015年から出すことになるんですけど。


――『福島第一原発観光地化計画』に関しては、本の意図や内容ではないところで批判を受けるなどしてしまったように思います。もし、もっと適切な形で読まれたなら、違った結果になったと思いますか?

 目のつけどころはよかったけど、ぼくのパッケージングや、誰に何を売るかという考え方が甘かったんだと思いますね。いまならまったく違うパッケージングをするだろうし。当時はぼくに若手文化人の傲慢さが表れていたんだと思います。「俺たちだったらちょっとオシャレにはっちゃけても許してくれるだろう」みたいな。その結果、いろいろな人の不興を買ってしまった。


それと、観光は一種の距離がないとできないことです。結局、チェルノブイリは遠いし、日本人が観光客として現地で何をしゃべっているのか、直接ウクライナの人には聞こえないですよね。その点、福島は距離が近かった。それでも、2013年に比べれば、いまのほうがはるかに受け入れやすくなっているとは思いますが、そういう違いもわかっていなかったということですね。



代表交代を経て始動した『ゲンロン』第2期が目指すもの


――業績が回復したのはいつ頃なんですか?

 2015年ぐらいで、それ以降は右肩上がりで成長しています。むしろ会社が大きくなったことで、2018年にぼくは経営を放り投げて、上田さんに引き取ってもらうことになった。先ほど言ったように、ぼくは経営者としてはダメで、『ゲンロン0 観光客の哲学』が3万部ぐらい売れて、人をまた雇いすぎてしまった。人が増えるともめ事も多くなるんですよ。

ぼくは社内マネジメントがすごく苦手で。ぼくがトップにいると組織がピラミッド型になってしまい、「東さんに認められる」競争、つまりナンバー2争いがはじまってしまう。これが非常にめんどうくさかった。

代表交代については、制作と運営の思想というエッセイにも書きましたが(『テーマパーク化する地球』に収録)、制作者としてのぼくと、運営者としてのぼくのバランスをとることができなくなってしまったわけです。


上田 東さんは良質なコンテンツを豊富に提供することで会社を支えている。エンタメ業界なら「一番の売れっ子」みたいなものです。その上、さらにマネジメントの細かいところまで引き受けなければならない状態だった。いくら自分の会社とはいえ、嫌になることはあるだろうと思います。


――2018年は批評誌『ゲンロン』の第1期が終わり、2019年の『ゲンロン10』から第2期が始動しました。代表交代による変化はありますか?

上田 一番の特徴は、東さんの長い論考が入ることです。東さんが代表のときにつくっていた『ゲンロン9』までは、そうした余裕はありませんでした。特集テーマによる縛りがあり、刊行頻度もいまより多くてせわしなかった。『ゲンロン10』以降は特集も設けず、また事実上年刊になっているので、単行本の出版やカフェなどの他の事業を進めながらも、企画を思いついたり練ったりするのに十分な時間が取れる。東さんが本来の力を発揮していく場所でありながら、同時に多種多様なテーマや著者が入っていく、より開かれた形になっています。

 ゲンロンはIT系やエンジニアの読者が多くて、3~4割を占めているはずです。人文系が好きな理工系の読者が日本にはかなりいて、その人たちも意識しています。

上田 その意味でも、『ゲンロン10』では家入一真さんを迎えたり(投資から寄付へ、そして祈りへ――SOLIOの挑戦と哲学)、次の『ゲンロン11』では柳美里さんや大山顕さんらの旅についてのエッセイも掲載される予定で、より広い読者に向けてつくっています。


『ゲンロン10』


――代表の交代は、ゲンロンが脱東浩紀を目指していくという意思表示のようにも受け取れます。

 短期的にはまだその段階ではありませんが、長期的にはそうならないといけない。ぼくが実際にこうやって活動できるのは――それこそ8時間もしゃべれるのは――あと5年くらいだと思うんですよ。体にガタがきているし。だから長期的には変わっていく必要がある。ぼくというコンテンツのあるなしに関わらず、ゲンロンは続けなければならないことなので、会社の体質改善をしていかないといけませんね。

上田 私たちの経験が浅かったこともありますけど、2018年は人がむやみに増えて、スタッフが会社の目標を共有できない状態になってしまったんです。東さんに認められたい人もいれば、もっとお金がほしいという人もいて、それぞれが個別の小さな目標をもってしまったんでしょう。そして、ゲンロンを大切にしたいという人が少なくなってしまったんでしょうね。だから、東さんが「会社を辞めたい」と言ったとき、「じゃあ、自分も辞めます」という人が複数いた。

そんな状況でゲンロンに残ってくれた人たちは、これからもこの会社で働きたい、ゲンロンを存続させたいと思ってくれた人たちなはずです。なので、会社の体質改善ができたのでしょうし、マネジメントしやすくなりました。

ゲンロンは人数が少ないにも関わらず、いろいろなことをやっている会社なので、一つの仕事だけしていればいいというわけではないんですね。オフィスでデスクワークしていると思ったら、カメラを回していたり。そういうハプニングや誤配を楽しんでくれるタフさがある人には、ゲンロンで働くことには等価交換以上のものがあると思います。逆にずっと原稿を読んでいたいというタイプの人は合わないかもしれない。


――上田さんにとって、脱東浩紀は非常に困難な仕事になりそうですね。

上田 それはむずかしいですよ。ゲンロンで最も収益率が高いのは、東さんの本や東さんが登壇することですから。でも、東さんなしでは成り立たない状態だと、東さん自身もやりたいことができないままになってしまいます。ですから、たとえ1カ月東さんが登壇しなくても、動画プラットフォームの月額会員が減らないというような状況にはしたいですね。

そのためには定期的に登壇してくださる方がもっと増えてほしい。東さんは能力が非常に高いので、周囲の人が委縮したり、遠慮したりしてしまうことがあるのは事実です。けれどもゲンロンは東浩紀がつくった場所なのだから、そこからの脱却を目指しても仕方がない。むしろ、東浩紀とその能力をどう利用していくか、どう継承していくかを考えながら拡大していきたいと思っています。

 

株式会社ゲンロン

東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F

TEL:03-6417-9230

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