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執筆者の写真Byakuya Biz Books

独立系旅雑誌『LOCKET』が模索する雑誌のカタチ

更新日:2021年8月20日



2020年11月16日、ダイヤモンド・ビッグ社の『地球の歩き方』を含む旅行関連事業が学研プラスに譲渡されると発表された。その大きな理由は新型コロナウイルス感染症の世界的流行による、海外旅行を巡る事業環境が一変したことだ。いまだ収束の兆しが見えない状況が続く中、7月末、一冊の旅雑誌が刊行された。編集者一人、デザイナー一人という最小単位で製作された『LOCKET』である。リトルプレスという形態ながら、最新号の発行部数は2000部。取り扱い書店も徐々に増え、苦境にあえぐ旅行雑誌の中で気を吐く存在と言えるかもしれない。発行人である内田洋介さんは28歳の編集者。なぜ完全自費の雑誌を2000部も作るのか? 『LOCKET』の魅力とともに聞いた。



シリーズ累計約5000部! リトルプレスの域を超えた『LOCKET』


――『LOCKET』は2015年に創刊した、旅をテーマにした雑誌です。第2号は2016年、そして期間を置いて2019年に第3号、2020年7月に最新号となる第4号が発売されました。まずは発行人である内田さんと旅の出合いがいつだったか教えてください。


10代の頃から旅は身近なものでした。はじめて一人旅をしたのが中学2年生のときで、それから東北、京都、広島などを一人旅したり、高校では山岳部に入って山に行ったりして。大学に入ってからは長期休みによく旅をするようになりましたね。


旅と同様、雑誌もぼくにとって身近な存在で、いろいろな雑誌を読んでいました。大学2年のときからインカレサークルでフリーペーパーをつくる活動もしていて、年に2回、1万部ぐらい発行していました。


――その活動が発展して『LOCKET』が生まれた?


『LOCKET』の前身と言えるのは、大学4年の頃に作ったZINEです(※ZINEについてはこちらの記事を参照)。フリーペーパーではなくて有料のものを作ってみようと思ったんです。テーマはミャンマー。キンコーズのプリンターで刷ってホチキスで留めて……というZINEらしいZINEでした。


ただ、もともと雑誌が好きだったので、自分が満足するものを作りたいという気持ちが強くなったんです。フリーペーパーは32ページ中綴じでしたし、ZINEも小冊子だったので。背表紙が付けられるぐらいのものにしたいというか。


編集プロダクションでアルバイトしていた経験も大きかったですね。クライアントがいて、編集デスクがいて、編集部員がいて、外部のライターがいて……。書店営業、広告営業、もちろん経理など、仕事が細分化されていました。その全部を一人でやってみたくて。


『MYANMAR ZINE』とフリーペーパー『SNUFKIN』


――創刊号は800部とのことですが、一人で作るリトルプレスとしては攻めた部数ですよね。


創刊号はフルカラーで88ページなんですけど、ネット印刷の費用が30万円ぐらい。自分としてはまったく反響がなく、印刷代を取り戻せなくても許せる金額かな……と。


――何か売るツテがあったのでしょうか。


サークルで作っていたフリーペーパーが1万部だったので、800部はすごく少ないと思っていたんですけど、実際に納品されてから大変さに気づきました。自宅に納品された時点で取引先はゼロでしたから。いまなら発売前にリリースを送ることができますけど、当時23歳の素人が雑誌を作ったと営業しても、見本誌がなければ取り扱ってもらえないと思ったので。


だから、営業をはじめたのは納品日の翌日から。バックパックと両手の手さげに100~120冊くらいつめこんで、京都、大阪、広島、福岡、宮崎と、手持ちがなくまるまで西に営業に行きました。大型書店はむずかしいだろうと思っていたので、大阪のblackbird booksや広島のREADAN DEAT(リーダンディート)など、個人経営の書店を中心に回りましたね。


宮崎で手持ちがなくなったので戻ったんですけど、冷静に考えたら800分の100冊しか減っていない、みたいな(笑)。それでも松本の栞日(しおりび)をはじめ、少しずつ取り扱っていただける書店が増えて、最終的には30店舗に置いてもらえました。


――第4号は2000部、取り扱い書店も95店に増えました。号を重ねるごとに拡大していますね。


取り扱い書店は創刊号が30店舗、第2号が40店舗、第3号が70店舗だったので、第4号では100店舗を目指しました。部数は書店注文の数に合わせたわけではなくて、第3号が半年で1000部売れたことと、現状維持では進歩がないと思ったので倍にしたんです。


第4号は7月末に出して、現時点(11月上旬)で在庫は2割を切ったので、もちろん書店にはありますけど、もう少し多くてもできるのかなという手ごたえはあります。


――知名度が上がってきたことによるプレッシャーは感じますか?


もっと期待されてもいいのに、あまり期待されていないんですよ(笑)。2000部って出版業界ではまだまだ小さい数字です。だから読者のニーズに最適化しようともあまり考えていません。


自分は本業でも編集の仕事をしているので、いい雑誌を作りたいという気持ちのほうが強いんです。ある書店の方に「もっとリトルプレスっぽく作ったほうがいいよ」と言われたことがあるんですけど、ぼくはもっともっと厚くしたいし(笑)。



『LOCKET』からにじみ出てくる魅力の正体


(C)LOCKET

『LOCKET』創刊号「しあわせのありか」より


――LOCKETという雑誌名は、ご自身のブータン旅行がきっかけだそうですね。


ブータンを10日間旅行したとき、ロケットペンダント(チャームが開閉式になっていて中に写真などが入れられる)を買ったんですね。そうしたら、ガイドがイトスギ(ブータンの国樹)の枝と実をむしってペンダントにつめて、「ブータン・ウィズ・ユー」と言って渡してくれて。それがすごく印象的だったんですよ。


ブータンは少し特殊な国で、政府が定める公定料金(旅行当時は1日2万5000円×日数分)を払わないとビザが下りないんです。その代わり、宿、ガイド、ドライバーの費用が含まれていて。ほかの地域とはかなり異なった旅行だったんですけど、ロケットペンダントはそのときの個人的な経験を象徴しているものですね。


――『LOCKET』ではある国や地域にフォーカスを当てるというよりは、特集にまつわる地域を取材しています。


ブータン旅行をきっかけに、場所ありきで考えなくなったんです。学生の頃はインドやヨーロッパとか、すごく行きたい場所がたくさんあったんですけど、ブータンに行ってからそういう気持ちがなくなって。その代わり、どこに行っても視点の持ち方次第でテーマにしたいものがあるなと感じられるようになりました。


「○○・イシュー」という特集の作り方は創刊初期の『PAPERSKY』の影響もあります。香辛料がテーマのときは「スパイス・イシュー」と銘打っていて、テーマの切り取り方がカッコよかったんです。


それに、一つの地域にフォーカスを当てようとすると、より長く滞在する必要があります。たとえばブータンに10日間滞在して1冊作れるかといったらむずかしい。また、ガイドブック的な情報の信頼性や鮮度も確保しづらいので、製作に1年かかってもいい作りにしています。

(C)LOCKET

『LOCKET』第2号「徒歩旅行」より


――特集はどういう基準で決めているんですか?


基本的にはそのときの自分の状況が影響しています。創刊号はブータン旅行をきっかけに「しあわせのありか」に決めて、第2号の「徒歩旅行」はよく登山をしていた時期でしたし、第3号は以前勤めていた会社を辞めたときに作ったんですけど、朝が来ることにネガティブな気持ちだったので、「朝日の光源」ということにして。


――第4号の「コーラをめぐる冒険へ」は旅雑誌とは思えない特集だと思います。


旅の醍醐味は未知との遭遇でもあると思うんですけど、実は未知への扉ってそこかしこにあって、コーラもその一つ。ごくごく当たり前の存在だけど、あらためて目を向けると非常に多種多様なんです。大手企業が作るコーラもあれば、日本の若者が担うローカルなクラフトコーラもあります。


道端に落ちているように身近なコーラでもどんどん掘り下げていけるし、その結果、興味も広がる。コーラを入り口にそんな好奇心の広がりを味わってほしくて。


(C)LOCKET

『LOCKET』第4号「コーラをめぐる冒険へ」より


――コーラの特集ではチュニジア、ニュージーランド、ロシア、アメリカ。そのほかの号でも海外の記事が多い印象です。


予算の都合で撮影を依頼できないので自らフイルム撮影しているんですけど、写真家とは違うと自覚しています。国内のようにある程度既視感のある風景を撮ったとき、素人とプロの実力差が如実に出ちゃうと思うんですよね。そういう写真家との差異を、旅人のセンスみたいなところで少しでも埋めたくて、海外をメインにやっているんです。


――取材は、ある程度誌面のイメージを固めた上で行くんですか?


事前にリサーチして、「こういう順番で回っていこう」「この場所に行ったら、この角度で撮ろう」とは考えます。でも、それが裏切られたときにおもしろくなるんです。予定調和のままでは旅のテンションも上がらないですし、その結果、旅の原稿を書くのもむずかしくなってしまうから。


――予定調和はどうしても既視感につながると。


そうですね。第3号の「朝日の光源」という特集では南インドに行きました。インド亜大陸の最南端が日の出と日没を見る聖地で、東の海岸沿いに南下していけば、毎日キレイな日の出が見えるので、いくつか街を巡って、最後に最南端で朝日を見て、そこでザドゥーを撮ろうと思っていて。


ところが、いざ行ってみたら、縁日みたいな俗な場所でちょっとガッカリしたんです。ただ、それほどたくさんの人が日の出を見るためだけに集まるのはステキだなとも思って。そんな気づきがあると、旅の記事としてはより良いのかなと思いますね。


(C)LOCKET

『LOCKET』第3号「朝日の光源」より


――旅の記事では臨場感ある文章が欠かせませんよね。記事を書くときに心がけていることは何でしょうか。


創刊号でノンフィクション作家・探検家の角幡唯介さんにインタビューしたとき、「言葉は背骨に宿るもの」とおっしゃっていたんです。背骨に宿すほど、体を賭してつかみ取った真実のようなものを、主観と読み心地のバランスを見極めながら言葉にできたらいいな、と思っています。


たとえばぼくがミャンマーに行ったとき、タクシーの車内でドライバーが運転中にハンドルから手を放し、何気なく仏塔に手を合わせたことがあったんです。何か特別なことをしている感じではなく、運転しながらパッと手を合わせてまた運転に戻る。その所作に感動したんですよ。


仏塔や名所だけではなく、何気ない日常の風景にこそ、その土地に住む人たちの価値観が現れるはずです。それは現地の人と触れ合ったり、その国の宗教や歴史を学んだりしてその土地のことを知ったからこそ気づけること。


そういう目に見えない価値観や、自分が経験したことを主観的に書くことで、読まれる文章になるのかなと思います。



独立系の旅雑誌である『LOCKET』のこれから


――昔からよく雑誌を読んでいたとおっしゃっていましたが、旅雑誌で好きなものを挙げるとすれば?


ぼくはずっと『NEUTRAL』『TRANSIT』『Spectator』を読んでいて、『NEUTRAL』と『TRANSIT』は創刊号からすべて、『Spectator』もほぼ持っています。


――それらの雑誌に惹かれるポイントは何でしょうか。


こだわりが強かったり、誌面や企画が大胆かつ緻密だったり。ほかの雑誌に灰色の主語しかない中で、書き手の主観がしっかりとにじみ出ている点でも惹かれますね。


――書店では一緒に並ぶことも少なくないと思います。同じ系譜の雑誌だと捉えられていることに対して、どう思いますか?


大好きな雑誌と似ているとおっしゃっていただけるのはうれしいです。ある程度の手ごたえを感じるし、読まれる価値があるとも思えます。ただその一方で、編集者にとって、似ていると言われるのはほめ言葉ではないんです。


ぼくはあれくらいのインパクトある雑誌を作りたいし、超えたいと思っています。もちろん、自分がやりたいことやあこがれているものに及んでいないというのは、読者としても編集者としてもわかっています。だから2000部じゃ話にならないし、クオリティーも上げていきたい。


――先達の雑誌とは違う世界感はどうやったら出せるでしょうか。


むずかしいですよね。キレイな写真を載せよう、文章を読ませようとすると、どうしてもすでに出ている雑誌と同じになってしまいます。だから次はどうしようかな……という(笑)。


――第4号は多種多様な寄稿者によるテキストも魅力だと思います。「誰が」書いているかでは差別化はむずかしい?


巻頭で写真家の石川直樹さん、旅行人の蔵前仁一さんに原稿を書いていただいて、「みんげい おくむら」の店主・奥村忍さんに取材させていただきました。一流の方たちと仕事ができることはすごく光栄なことですが、結果的にほかの商業誌と似てしまうことにもなります。


特集の選び方や記事の並べ方に雑誌らしさが出ると思うんですけど、その点で少し考えているのは同世代の連帯かな……と思っています。若い作り手が若いカルチャーを取り上げる――それは『LOCKET』だからできることだと思っていて。


ただ、同世代で何かやろうとすると、よくあるリトルプレスになってしまうので、一流の方たちに近づきたい気持ちを持ちつつ、同世代の仲間も探している感じですね。


――次号の予定は?


来秋には出したいなと思っているんですけど、来年も海外取材ができない状況が続くなら、無理に出そうとは思っていないですね。『LOCKET』は5年で4冊のペースと不定期なので、定期媒体のように何が何でも出さないといけないわけではありませんから。


――とはいえ、『LOCKET』をずっと続けていくとなったとき、定期的に出すことで顔を覚えてもらうのも大事なのかなと思いますが……。


栞日から創刊号の注文を受けたとき、すごくうれしくて松本まで納品に行ったんですね。そのとき、「不定期になってもいいから、必ず続けてくださいね」とおっしゃっていただいたんです。それがすごく頭に残っていて、どれだけ不定期になっても続けようと思っています。


ただ、それは第10号、20号のことを考えているわけではなくて、まずは次号のことだけ考えていて。もっといい内容にできるかなとか、そうすればもう少し部数も増やしてもいいのかなとか。


(C)LOCKET

『LOCKET』第4号「コーラをめぐる冒険へ」より


――雑誌は役割を終えたとも言われていて、今後も厳しい状況が続きそうです。


情報誌がどんどんWEBに取って変わられたように、メディアとしての役割は終わりつつあるかもしれません。でも、フィジカルでの体験だったり、限られた紙幅での表現の深さだったり、モノとしての魅力は紙にしかないと思うので、情報以外の部分に重きがあるとすれば、まだまだ役割はあると思います。


第4号の経験で言うと、長野県松本市の藤原印刷に行って印刷に立ち会ったんですね。いまさら素人のぼくが行っても、仕上がりが劇的に変わることはありませんが、校了データをアップロードして終わりではなく、工程を最後まで見ることができたのは大きな経験でした。


雑誌を語るとき、「これまでの雑誌は……、これからの雑誌は……」といったメディア論のような切り口が多いと思うんですけど、印刷に立ち会い、印刷の工程を見たことで、メディアとしての雑誌の見方とは違う、モノづくりとしての雑誌という視点で捉えることができたと思います。


――雑誌は「モノ」化、つまり雑貨化に道がある?


うーん……工程においてモノづくりの視点が大切だと思っているのであって、完成において雑貨化したいわけではありません。というのも、第3号の反省に、良くも悪くも雑貨っぽくなってしまったことがあるんです。


プラスチックのカバーを気に入ってくださる方もいるし、コデックス装(糸綴の背をそのまま見えるように本を仕立てること)の雑誌なんて、ふつうの出版社ではなかなかできないことだと思います。それでも、ぼくは雑誌で育ってきた人間なので、ある程度は雑誌というフォーマットの中でやりたい。


――商業化に興味はありますか?


まだまだその需要はないし、それを求めると失敗しちゃうかなとも思います。出版業界がシュリンクしていく中で、わざわざ同じプロセスを進む必要はないと思っています。


――独立性を保ったまま、少しずつ拡大していくと。


『murren』というすばらしいリトルプレスを作っている編集者の若菜晃子さんが、『Spectator』のインタビューで「ボトルシップのような気持ちで作っている」とおっしゃっていて。自分が作るものは商業的な規模の数ではないし、受け取る人ははっきり見えないけど、ボトルシップを投げておけばきっと誰かに届くと。


創刊号を作っているときにそのインタビューを読んだんですけど、それはずっと頭に残っているので、これからも自分が作りたいものが届くと信じて、続けていきたいですね。

 

独立系旅雑誌

『LOCKET』

https://locketmag.com/

 

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