尾道在住のマンガ家ふじいむつこさんが、尾道に暮らす市井の人々にスポットを当て、その人の日常や生き方を描く「尾道日々是好日」。今回登場するのは、私たちの生活には欠かせない仕事だけど、あまりスポットが当たらない――そんな「くみ取り」の仕事をするおっちゃんが登場。おっちゃんはなぜこの仕事に就いたのか? 彼の人生とともに紹介する。
尾道のライフラインを支えるくみ取りの仕事とは……
尾道を歩いていると円柱を倒したようなタンクを備えた大きなトラックをよく目にする。住居や店舗の前に停車したかと思うと、何やらホースを住居の中まで伸ばしている。近くを通り過ぎると独特な匂いが鼻をかすめる。
「くみ取り」である。
周知の通り、尾道は古い家が多い。それがこの街の魅力であり、レトロと言えば聞こえはいいが、古い家であるということは諸々の設備も当然古く、実際住むとなると大変なことのほうが多い。特にトイレ問題は尾道を住む上で避けては通れない。
いわゆる「ぼっとん便所」も現役で活躍している場所もあるが、多くは「簡易水洗」というぱっと見、普通の水洗トイレに見える成りをしているトイレが尾道では活躍している。
簡易水洗は、要はぼっとん便所に洗浄水機能がついたもので、便器の中に弁が備わっている。流す前に弁の上にいったん排泄物が溜まり、流すレバーを引くと弁が開き、洗浄水とともに流れるのだ。この弁の可動時には「じゃー……ベコン!」という中々ユーモラスな音が出る。
ぼっとん便所も簡易水洗も水が流れる、流れないの差はあれど、排泄物が下水として流れずに庭や敷地内の地下に埋め込まれた巨大なポット(便槽)に溜まるという仕組みは一緒だ。
当然の話だが便槽にいつまでもいくらでも排泄物を貯められるわけではないので定期的に空っぽにする必要がある。この便槽を空っぽにする行為は「くみ取り」と呼ばれ、専門の業者に行ってもらう。くみ取りを行う業者は市から委託を受けており、尾道でも地区に分かれて数社存在する。彼らは皆、くみ取り専用の車、吸上車(きゅうじょうしゃ)、通称「バキュームカー」と呼ばれる車でそれぞれの家を回る。
私が住むシェアハウスも例に漏れることなく簡易水洗のため、くみ取りの業者の方には日々お世話になっている。しかし、我が家のトイレ、曲者である。地下に埋め込まれている巨大なポットの許容範囲を超えると便座の下から水があふれ出てくるのだ。昨年1年間、何度このトイレと睨み合ったことか。シェアハウスであるため住民の数が変動しやすく、くみ取りのタイミングを見計らうのが難しいのである。
人数が4人を超えるときは3週に1回、少ないときは1カ月に1回程度でいいということがわかっている(私調べ)。また、簡易水洗の弁の返しが遅く、「ベコン」という音が低くなるとくみ取りの頃合いである。
それにしても尾道に住む前の私にとってバキュームカー、くみ取りというものはマンガ『ちびまる子ちゃん』に出てくるもので実生活とは違う別世界のものだった。そのため、シェアハウスでくみ取りを初体験したときはいささか興奮したものである。それが今や弁の動きや音で大体のくみ取りのタイミングがわかるようになるとは、誰が想像しようか。
ともかく、くみ取りのタイミングが変動しやすく、たまにあふれては急に呼び出す、こんな我が家に嫌な顔せずに「困ったらいつでも呼んでくれたらええけぇ」と来てくれるのが、我が家を担当するくみ取り業者のおっちゃんである。
「おはようございます!」と元気な声が聞こえたらおっちゃんだ。ダッシュで私が向かうのは玄関ではなく便槽のある庭。おっちゃんたちは我が家の狭い裏口を通り抜け、直径15センチぐらいの太いホースを持って入ってくる。このホースを普段は閉じられている便槽の中に突っ込み吸い出すのである。私たちはおっちゃんの指示に従い、便器からバケツに汲んだ水を勢いよく流し入れる。便器と便槽の間に溜まった排泄物を流すためだ。「ずこここ……」と底をついたような音がしたら終わりである。
以上がくみ取りの一連の流れだが、私は普段見られない便槽の中を見ることができることや、くみ取り中におっちゃんと他愛もないおしゃべりをしたりして過ごすことができる、この時間が好きだ。いつも来てくれるおっちゃんがとても気さくで話しやすいのもある。
くみ取りの業者がここまで話しやすいのはめずらしいのだという。大半は業務的に終わることがほとんどらしい。おっちゃんは違う。おしゃべりしながら、我が家の伸びすぎた雑草を「邪魔じゃろう」と言って、自前のハサミで剪定してくれたりするのだ。
そんなおっちゃんの朝は早い。くみ取りの仕事自体は7時半からだが、おっちゃんはくみ取りの仕事だけでなく、早朝は新聞配達の仕事をしている。新聞配達後にくみ取りの会社へ出勤、今日回る家を確認してバキュームカーに乗って出動する。14時半にはすべての家をまわり終え、会社に戻ると事務作業に移る。
くみ取りの仕事は一見体力仕事だが、頭も使う。何せ1日に20〜30軒もの家を回り、それらの大体のくみ取り量を予想し、タンクに入る、し尿の量を計算するのである。「慣れれば大したことないよ」というが、便槽の大きさや溜まる量は世帯や時期によってさまざまだ。それらを実際に回りながら計算するというのは並大抵のことではない。
また、くみ取り業者の仕事は「くみ取り」だけではない。浄化槽と言って水洗トイレの汚水をある程度きれいにしてから下水に流す設備の清掃も定期的に入る。くみ取りをしながら合間に浄化槽の清掃にも回る。サイクルは大体決まってくるそうだが、それでも何百軒もの家のスケジュールを管理することは至難の業だ。おっちゃんの仕事用の手帳を見せてもらったが、数週間先まで予定がびっしり書き込まれていた。
さらに体力面の話になるが、尾道は坂の街でもある。山手側の家のくみ取りの際は太いホースを5、6本繋ぎ合わせ、30メートルの長さまで伸ばしてくみ取りを行う。手ぶらで登ってもしんどい尾道の坂を、あの太いホースを持って上がるのは相当な体力仕事である。
暑い日や寒い日はさぞかし体に堪えるだろうと思うが、おっちゃんは「基本は車に乗っとるし、そこまで大変ってことはないね」とけろりと答える。そう、おっちゃんはいつ、いかなるときも元気な笑顔で来てくれる。大変なことは何かと尋ねると「雨の日はねぇ……」と言ったので、なるほど傘がさせず自分の体が濡れるからしんどいのかと思ったら「ホースを伸ばすときに泥が跳ねて家の壁を汚すかもしれんでしょ、それが大変よねぇ」とお客様の家の心配だったのである。
おっちゃんが言うには、くみ取りの仕事はお客様との信頼関係が第一なのだという。私のように便槽を覗き込むような変わり者は稀で、すべてくみ取ることができているかの確認は業者に委ねられている。
また訪問した家に依頼者が不在の場合は依頼者の許可を得て、業者だけで作業をすることもある。そのために家の鍵を開けてくれている人もいる。それは「この人だったら見ていなくてもちゃんと作業してくれる」という信頼があってこそ成り立つことだ。だからくみ取り以外でもお客様に街中で会ったときも頭を下げることを忘れない。実際、おっちゃんは人気者でおっちゃんを指名して、くみ取りをお願いするお客様もいるほどである。
おっちゃんがくみ取りの仕事を始めたのは30歳を過ぎてから。それまでは地元で板前として働いていた。その後、奥さんの地元近くだった尾道に引っ越すことになり、トラックの運転手に転職した。
転機が訪れたのはその後すぐだった。おっちゃんはトラックの運転中に人身事故を起こした。相手方はおっちゃんを訴えることなく、穏便にことを納めてくれたものの、翌日すぐに退職。自分から申し出た退職ではあったがほぼほぼクビのようなものだった。
その後、当時小学生だったお子さんと奥さんを抱え、無職になってしまったおっちゃんを見かねて知人から声がかかり、縁あって今のくみ取りの会社に勤めることになったのだという。今はくみ取りの仕事、新聞配達に加え、週末には魚市場に行き板前の経験を活かして魚をおろしに行く。1週間働きづめだ。そんなに毎日働いて、仕事が辛くなったり、嫌になったりしないのかと尋ねた。
おっちゃんは真っ直ぐしたやさしい目で答える。「つらいとは思わんね。事故を起こしても今働くことができるのは、たくさんの人のおかげ。責任持って勤めあげんといけん」
おっちゃんの口から仕事への不平不満、愚痴は一切出てこなかった。それよりも働くことができることへの感謝の気持ち、伺う家への心配や気遣いにあふれていた。くみ取りの仕事は大変だが、さぞかし苦労や嫌な思いがあるだろうと勝手に想像していたのは私のほうだった。おっちゃんは紳士に粛々と自分の仕事を全うしている。
おっちゃんはくみ取り前に必ず電話を入れてくれる。ある日、私は病院に行くので家にいないかもしれないという旨を伝えたことがあった。その結果、私が出かける前に来てくれたので事なきを得たのだが(そのときはおっちゃんではなく違うお兄さんが来てくれた)。その夕方、おっちゃんから電話が入った。はて何かあったかなと思ったら、「藤井さん、病院行くってどこか悪いん?」と、なんと私の健康を気遣う電話だったのである。
「ごめん、おっちゃん、皮膚科じゃわ」
私とおっちゃんの笑い声が電話口で響いた。
おっちゃんは私の、尾道のヒーローだ。
おっちゃんは働く。感謝と気遣いとやさしさを持って。
バキュームカーは尾道を支えるヒーローを乗せ今日も走り回る。
ふじいむつこ
1995年生まれ。広島県出身。物心ついた頃からぶたの絵を描く。2020年に都落ちして尾道に移住。現在はカフェでアルバイトしながら、兄の古本屋・弐拾dBを舞台に4コマ漫画を描いている。
Twitter:@mtk_buta
Instagram:@piggy_mtk
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