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執筆者の写真Byakuya Biz Books

日独ハーフのサンドラさんと考える「女性の生き方」

更新日:2022年5月23日



2月9日、中央公論新社より『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(以下、本書)が出版された。著者はサンドラ・ヘフェリンさん。ドイツと日本という2つの母国を持つ女性だ。本書が扱うのは女性の生き方。簡単には語り切れないこのテーマに対して、「美意識」「結婚」「子作り・育児」「男女関係」という視点から、幅広い価値観を提示する1冊となっている。「読者に考えるきっかけになってほしい」と話すサンドラさんに、各テーマから気になるトピックを拾い、解説していただいた。本書を読む前の導入としてだけでなく、読後の整理としても役に立つはずだ。



日本で暮らす女性は生きづらい?


――本書は読売新聞が運営する「OTEKOMACHI(大手小町)」の連載をまとめたものですよね。連載がスタートした経緯を教えてください。


2017年に吉田潮さんの本『産まないことは「逃げ」ですか?』(ベストセラーズ)の刊行記念イベントで対談(吉田潮さん、中川淳一郎さん、私)をしたんです。それを受けて「OTEKOMACHI」の当時の編集長から声をかけていただきました。


最初は「仕事と出産」というテーマで数回の予定でしたが、もっと幅広く女性の生き方について書いてみたいと思い始めて、編集長に相談したらOKをもらったんです。


――これまでの女性の幸せといえば結婚というように、ある種の固定観念にしばられてきた側面もあると思いますが、もっといろいろな幸せがあることを提案されていますね。


女性の生き方に正解はないんです。いまは強い意志さえあれば、多様な生き方をすることが可能です。そのためには、人生の優先順位というものに向き合わないといけない。そうでないと、周囲になんとなく流されてしまいます。


――優先順位ですか?


日本では、女性の人生は社会や親に影響を受けていることが少なくないですよね。たとえば、結婚はするものだとか、子どもは持つものだとか。本人が強い意志を持っていないと、自然と流されてしまうと思うんですよ。


そしてふと気がついたとき、「あれ、こんな人生を歩みたかったんじゃない」となったら不幸ですよね。どういう方向に行きたくないのかがわかるだけでもいいんです。そうすれば、周囲から何を言われても、ブレることがなくなるはずです。


だから、連載も本にまとめるときも、各国の美意識や男女関係、女の友情などできるだけ多くの話題を扱うように心がけました。いろいろな価値観があることを伝えたかったんです。


結婚しても幸せだし、結婚しなくても幸せ。子供を持つ事も幸せだし、子供を持たないことも幸せ。色んな幸せがあるので、自分の人生について、ちょっと考えるきっかけになればうれしいです。


――ヨーロッパと日本という対比する視点も加わることでより多様な価値観が提示されていると感じました。この点はハーフであるサンドラさんならではですよね。


そうですね。私の立場上、日本とヨーロッパを比べることが多くなります。それに対してポジティブな反応もある一方で、「そんな外国の話をされても、ここは日本です」というリアクションもあります。どんなテーマであれ、「ドイツでは」「ヨーロッパでは」と話した時点で出てくることですね。


――ドイツで「日本では○○だ」という話をしたときは、どんな反応があるんですか?


ドイツに限らず、ヨーロッパでは、海外事情に対する興味を持つ人が少ないんです。ほかの国に住んでいる人がどんな日常を送っているのか、どんな問題に直面しているのか……日本のようにマーケットになるほどではありません。


もちろん日本に興味を持っているドイツ人もいますけど、それは生き方というよりも、いまならアニメ、少し前ならお寺など、ある決まったテーマにフォーカスして興味を持っているんです。


日本では「海外の人は日本をどう見ているか」というテレビ番組がたくさんありますよね。でも、ヨーロッパではほとんどありません。日本人ほど、他国の目線を気にしないんです。ドイツであるとしたら、それは第二次世界大戦、つまり外交面で気にしていかなければいけないことです。


一般生活においては、「街がゴミだらけだと、観光客が来たらはずかしい」といった感覚はなくて、街をキレイにするのはあくまでも気持ちがいいからであって、海外の人からどう思われているかという視点ではないんです。ただ、フィンランドだけは日本に近いと言われていますね。フィンランドでは「外国人に聞いてみました」的なテレビ番組もあるそうです。


サンドラ・ヘフェリンさん。ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住23年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」を運営。 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)などがある



【美意識】女性にとっての美しさとは?


――美意識は外見に直結するものだと思いますが、ダイエットしてキレイになりたいと思ったり、ルックスで芸能人を好きになったりする一方、見た目で不当に判断されるべきではないという、一見、相反する流れもあります。


矛盾しているように見えますよね。実際、どこの国でもキレイになりたいとか、ダイエットに成功したいとか、異性や同性にモテたいとか、多くの人が思っています。ただ、その形、どういう見た目にこだわるのかが国によって異なるだけ。


問題なのは、同調圧力の有無だと思います。日本では「女性はこういう見た目がいい」という女性像が根強くありますよね。会社や学校には髪にまつわるルールが多い。ルールでなくても、日本人女性は黒髪、外国人女性は金髪でいてほしいというわかりやすい思考回路があります。


もちろん、そうした見た目に対する同調圧力はドイツにもあります。ファッションは黒や紺、グレーなど、地味めの色が多いし、男性も女性もパンツスタイルが主流です。そのため、ピンクのひらひらスカートにハイヒールみたいな女性らしい格好をしていると、「え、何、あの人……」みたいな視線は感じます。


ドイツでは社会が女性と美をそれほど関連付けているわけではありません。だから、日本ほど窮屈さは感じない。ドイツには「すっぴん」という言葉がないのですが、それは、化粧はしてもしなくてもいいもの、つまりオプションと考えられているからです。


若さに対する信仰がそれほど強くないことも関係していますね。本のタイトルにもなっている「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」という髪の問題にもそれは表れていて、日本ではたとえばアイドルが前髪を作ることで幼く見せようとしますが、ドイツでは若く見えることがそれほど重視されません。


――年齢を重ねることに対して、自然に受け入れる人が多いということですか?


そうですね。ドイツの女性誌をめくっていると思うんですけど、中高年向けの化粧品の広告に登場するモデルさんは、しわ」が多かったりします。実際にいる女性に近い人を起用することで、お客さんに買ってもらおうとするわけです。日本人の感覚からすると驚くかもしれませんね。


美容整形も日本ほど市場が大きくありません。美容にこだわる人もいますが、全体の傾向としては、年齢とともに自然に生きる、みたいな。もちろん運動はしますし、食事にも気をつかいますけどね。


本書では髪、化粧、肌、ムダ毛処理、下着など、さまざまな話題に触れています。美的感覚は場所によってさまざまであり、日本での当たりまえが、実はそうではないことを知っていただけると思います。



【結婚】恋愛重視? 生活重視?

――日本とドイツにおける結婚観の最も大きな違いは何だと思いますか?


日本では昔のお見合いの影響からなのか、スペックから入ることが多い気がします。女性視点なら、相手が勤めている会社、役職、年収、正社員か非正規雇用か、長男なのか次男なのか……。男性視点なら子どもが生める年齢なのか、どんな学校に通っていたか……。


ドイツの場合は、スペックよりもフィーリングを重視します。本能のままにお互いの気持ちを大事にする人が多い印象を受けますね。ただそれは危険性もはらんでいて、よほどしっかりと見極めないと、口先だけがうまい人にひっかかってしまう。


ドイツ人の結婚観の背景にあるのは、結婚=恋愛+生活という価値観です。結婚してもお互いの気持ちが続くように努力するんです。ドイツ人の男性と結婚した日本人の女性に話を聞くと、子どもが生まれて夫を放っておいたら怒らせてしまったという話をよく耳にします。


日本なら暗黙の了解かもしれませんが、ドイツでは関係性をつねにケアしなきゃいけない。それをよいと感じるか、しんどいと感じるかは人それぞれですね。


――結婚に対する圧力はあるんですか?


ヨーロッパは日本より恋愛至上主義なんです。結婚してなくてもいいんですけど、恋人はいないといけない。そういう雰囲気はあります。映画であれ旅行であれ、週末を一人で過ごすのはどうなのっていう風潮はあります。それは意外とプレッシャーがあるかもしれませんね。


――日本における、クリスマス時期などにカップルでいないとちょっと肩みが狭い……みたいな?


似ていますね。ドイツ人に言うと否定されることが多いんですけど、カップル至上主義はキリスト教の影響が大きいと思っているんですよ。アダムとイヴ、男と女がいて成り立つもの。いまは同性婚も認められているので、それは男と女である必要はないんですけど、それでもカップルなんですよね。だから、コロナ禍で少し変わりつつあるとはいえ、お一人様は日本ほど社会的に認められていない。


――恋愛を大事にするというと、オープンリレーションシップもかなり浸透している?


一部の人の間ではありますが、社会の主流ではないと思います。オープンリレーションシップを実践している人も、ただカップル至上主義から抜けきれていないだけで、思ったほどオープンじゃない印象です。



【子作り・育児】「子どもを生んで後悔?」衝撃の調査結果とは……


――本書で触れられている、イスラエルの社会学者のオーナ・ドナートさんの論文「#Regretting Motherhood」(母親になって、後悔する)は、かなりセンセーショナルな内容ですね。実際、ドイツでの反応はどうだったんですか?


賛否両論ありましたね。その論文は、子どものいる女性に「時間を戻せたら、母親になることを選ぶか」と聞いて、「ノー」と答えた人にインタビューしたものです。その論文が発表されたあと、ドイツではサラ・フィッシャーさんが自分の体験を本(※)に書きました。


彼女いわく、「子どもが欲しい」といっても男女間で大きな違いがあって、男性の言う「子どもが欲しい」は、「子どもを育児する女性とセットで欲しい」のだと。仕事を時短にするとか、子どもが病気になったときに病院に連れていくとか、すべて母親がやる前提で男性は「子どもが欲しい」と言っていると書いています。


彼女の本には「母親業のほうが父親業よりも理不尽なことが多い」とわかるエピソードがたくさん載っています。たとえば、「父親」が小さな子どもを連れて公園に行き、そこでスマホを見ながらメールチェックをすれば、周囲の反応は「あら、仕事のいそがしい男の人が、父親の役割を果たして子供と一緒に公園に来るなんて偉いわ。ステキ」となりますが、同じことを「母親」がやれば、周囲の反応は「子どもの前でスマホだなんて、子どもがかわいそう!」となる。


これはほんの一例ですが、サラ・フィッシャーさんはこれが一事が万事だと言い、本の最後で「彼は子供が生まれたあとも、自分のそれまでの生活を特に大きく変えることなく、自分の人生をそのまま歩き続けた。一方、私は子供ができたことで、生活において『できなくなること』が多くなり、すべてにおいて変わることを余儀なくされた」とつづっています。


※ドイツ語のタイトルは『DIE MUTTERGLÜCKLÜGE Regretting Motherhood - Warum ich lieber Vater geworden wäre』(母親であることがハッピーだという嘘 Regretting Motherhood ~私が(母親ではなく)父親になりたかった理由~)


――非常にシビアな本ですね。


日本では受け入れがたい内容ですよね。日本語に翻訳されたものがあるか探しましたが、まだないのは、まさにそのせいかもしれません。親子の愛は絶対的なものとされていますから、「子どもがいるけど、生まないほうがよかった」なんて母親が言ったら、すごく叩かれますよね。そういう意味で、和訳がむずかしいのかもしれません。



【男女関係】クオータ制はセクハラ問題を解決する第一歩となるか?

――セクハラが発生するメカニズムについて、「女性を排除する男だけの世界がある」→「結果として女性の要望を気にかけない」→「従来の男性の価値観でセクハラを起こしてしまう」と説明されています。これを解消するには、やはり女性の数を増やすしかないでしょうか。


そう思います。私はクオータ制に賛成しているんです。クオータ制は要するに、国会議員や民間企業の管理職の男女割合を一定比率で割り当てることです。アメリカのアファーマティブアクションのジェンダー版ですね。


たとえばドイツでは2016年1月から大手企業は監査役会の女性比率を30%以上にすることが女性クオータ法で義務付けられています。ただ、日本では反対する人が多い。「女性の割合を規則で決めるのではなくて、実力がある人がなればいい」という論調です。


ところが、それでは結局、従来のままなんですよね。なぜなら、仕事に時間を割けるのは男性のほうが圧倒的に多いからです。自分が子どもを生むわけじゃない、つまりマミートラック(仕事と子育ての両立はできるものの、昇進や昇格とは縁遠いキャリア)に入らないから。


その結果、引き続き、男性ばかりが決定権のある職に就くことになります。ですから、やはり数を増やすことが先決です。いますぐじゃなくても、いずれ役員の半分が女性という形が実現すれば、女性に対するセクハラがなくなる風土になっていくはずです


――セクハラの問題は、男性だけでなく、同性が足を引っ張ることも指摘されています。


「“私は”差別を受けたことがない」というものですね。たしかにそういう女性もいますが、役員を目指すなど、男性と対等な立場を追求すると、女性は壁にぶつかりやすい。必ずしも仕事で上に上がりたいという気持ちを持つ必要はないかもしれませんが、「私はいまのままでいいわ」という意見が一般的なってしまっては困りますよね。


これはセクハラ問題に限りませんが、いままでのスタイルを崩したくない人は一定数います。居心地がよかったり、単に慣れていたり。実際、変えるというのは労力も必要ですから。



女性の生き方は多様化しつつあるのか!?


――女性が声を上げるとき、トーンポリシング(話し方警察)という問題もよく言われますね。


トーンポリシングは深刻ですよね。日本語は男女で言葉づかいが違います。そこには暗黙の了解がある。たとえば、男性がホテルの受付で「このカギ、ちょっと預かっておいてよ」といってもOKですが、女性が同じことを言ったら目立ってしまうでしょう。


数年前、「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログが話題になりました。この女性は、「女性なのにその書き方」という側面でバッシングされてしまった。また、電車での痴漢に対する態度も定期的に話題になります。変質者が悪いのに、なぜか被害者の女性が敬語で「やめてください」と言わなきゃいけない。


本当は「おまえやめろよ」でいいんだけれども、日本語の感覚では下品だとか、もうちょっと言い方があったんじゃないかとか言われてしまいます。これはトーンポリシングのすごく悪い部分ですね。言葉づかいについて考えるとき、私ももちろんキレイな日本語のほうがいいと思います。ただし、それは男女両方そうすべきなんです。


――サンドラさん自身、そういう経験は?


20年前、TBSで『ここがヘンだよ日本人』に出演していた頃はよく言われましたね。「日本についてギャーギャー言うのはどうかと思う」とか、当時はドイツ語を教えていたんですけど、生徒さんから「日本が嫌いなんですか?」とか。


番組は1時間と限られていましたから、前置きややわらげる表現はカットされて、最もわかりやすい白黒はっきりした物言いだけ使われたから。その結果、外国人はみんなアグレッシブで直接的という印象を持たれがちでしたね。


――本書では「真ん中へんを目指したつもり」と書かれています。それは取り扱うテーマに限らず、書き方にも表れていますね。


私は社会における女性の地位が高くなることを望んでいます。でも、それを直球で書くとフェミニスト系という、ある種のジャンルに入れられてしまいます。それでは一部の人にはウケるかもしれないけど、そこで拒否してしまう相手もでてきてしまう。だからといって、軽めのテーマだけでは表面的なことにとどまってしまいます。


バランスという意味では、私がハーフであることも大きくて。日本に来たばかりの頃はドイツ的な部分が強くて、直接的に言いがちでした。ドイツとの違いばかりが目について、もどしかしさもあったのかもしれません。いまは、ドイツ的な部分もありますけど、日本的な部分も持っている。そういう意味で、真ん中を歩いていきたいという思いもあるんです。


――連載をスタートした2017年と比較して、女性の生き方は多様になったと思いますか?


そう思いますね。当時はちょうど#Me too運動が盛んで、そのあとにBLM運動もありました。その流れで、日本では大坂なおみ選手のような女性が脚光を浴びるようにもなりました。その一方で、森さんの女性蔑視問題も起こっています。変わった部分もあれば、変わっていない部分もありますから、地道に続けるしかありませんね。


――価値観が多様になればなるほど、決まったレールがなくなりますよね。たとえば、「結婚=幸せ」だけ信じたい人からすれば、選択肢が多いことは苦しさしかないというか……。


多様な価値観は幸せな形がいろいろあることになりますから、確実なレールはなくなりますよね。それでも、自分は子供を生んで、専業主婦にとして子どもを育てるのが幸せだという生き方だって追求できます。専業主婦になってほしいと思う男性はいるわけですから。多様な生き方がうたわれているからといって、これまでの幸せのあり方が追求できないわけではありません。


ただ、昔よりはそういう生き方について、強い意志を持つことは求められますよね。「なんで働かないの? いまどき、めずらしいね」といった周囲の雑音もあるかもしれない。でも、それはお互い様です。新しい生き方を模索する人は、ずっと言われてきたわけですから。

 

『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』

著者:サンドラ・ヘフェリン/出版社:中央公論新社/ISBN:9784120053856

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